リブライト・ラスタンド-現代の心の闇を照らすガールズロック界の堕天使

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このブログで度々紹介しているシンガーソングライター・初音。彼女には、知られざるもう一つの顔がある。それがロックバンド「リブライト・ラスタンド」のボーカルとしての活動だ。リブライト・ラスタンド(通称:リブラス)のライブを初めて聴いた人は、癒し系シンガーとしての彼女のイメージとのギャップに戸惑うかもしれない。リブラスのステージは、ダークで時に攻撃的な、正統派ロックそのものだからだ。そんな両極端とも言える音楽性の狭間で、彼女を突き動かしている原動力は一体何なのだろうか?

ライブハウスに降り立った堕天使

筆者も初めてリブラス(リブライト・ラスタンド)の曲をCDで聴いた時は、『初音』とは全く違う別のバンドの曲、という印象しか受けなかった。よくよく聴けば、その特徴的な澄んだ歌声は、初音と似ているかもしれない・・。その程度にしか思えないほど、『初音』の楽曲とはテイストも違えば、歌い方も全く違うのだ。

リブラスのライブ映像は、YouTubeでも視ることができるので、まずは実際の演奏を聴いてみて欲しい。重低音が轟くディープなサウンドに、刺激的な照明が織り成すサイケデリックな演出。白衣に身を包んだ『HA-T』ことハツネ先生の衣装も、妖艶なイメージが強く、まさにダークサイドな雰囲気を醸し出している。

ミスクラウディア

そんな初音ファンでもびっくりしてしまうような、ちょっと異色な空間なのだが、どんなにダークな雰囲気に包まれていても、ステージに立つ初音の可憐さが際立って見えてしまうのだから、不思議としか言いようがない。

特に熱唱している時のまっすぐな澄んだまなざしを見ていると、誰しも心を捕われてしまうのではないだろうか?そして、その瞳の奧には癒し系シンガー・初音と変わらない、少女の純真さが秘められていることに気付かされるのだ。

そんな闇の中の一条の光とも言える、リブラスのステージにおける初音の存在感は、冥界から舞い降りた『天使』と表現しても過言ではないのかもしれない。

現代の心の闇を見つめて

リブラスは『闇』をテーマにしたロックバンドを銘打っているが、普通に歌詞を聴いているだけでも、「闇」という言葉が何度も出てくるのには驚かされる。『初音』の楽曲でも、挫折や喪失をテーマにした歌は多いのだが、ここまでストレートに闇を扱ったものはなかったと思う。

例えば『SILENT CRY』という曲では、「デジタルの現実と、アナログの空虚な世界。真実はどれなんだ?」「闇に光る画面には、無限に広がる意味ないつぶやき」といった歌詞が登場する。

SILENT CRY

Twitterなどが普及したネット社会ならではの、孤独と心の闇を見事に描写した一節だと思うのだが、聴き込めば聴き込むほど、そういったフレーズの一つ一つがグサグサと突き刺さり、心に響くのだ。

また『ミスクラウディア』という曲で描かれているのは、嘘や矛盾にまみれた恋愛に苦悩し、いつも心が晴れないでいる女性の内面の姿だ。恋に傷ついた人は元より、虚栄や駆け引きの多い、現代の人間関係に悩むの人々の共感を呼ぶことだろう。

そんな風に、リブラスの歌には深いテーマと洞察力が込められており、聴くほどに深い味わいがあるのだが、その根底にあるのはシンガーソングライター・初音の楽曲と同じ作品性の高さなのである。

嫌なことを吹き飛ばす熱狂のステージ

初音がよくライブで語っているのは、嫌なことや辛いことがあった時にそっと寄り添い、元気を出してもらえるような歌を作りたい、ということ。特に最近の楽曲では、自身の体験も踏まえたメッセージ性の強い歌が多いのだが、その全ては人の心を癒やすために書かれているとも言えるだろう。

それとは対照的に、リブラスの曲は『闇』そのものに向き合い、時に退廃的で、攻撃的ですらあるのだが、初音の楽曲と共通しているのは、心の傷やネガティブな感情を創作の出発点としている点ではないだろうか?

初音の曲が心の傷を癒すのに対して、リブラスの歌には『闇』にどっぷり浸ることで共感を生み、嫌なことを吹き飛ばしてしまう爽快感があるのだ。それは一度でもリブラスのライブに足を運んだことがある人なら、実感するところであろう。

ホンキダシイナ

ダウナーな曲から始まり、徐々にアップテンポな曲へと移行していって、最後は定番のノリのいい曲「ホンキダシイナ」で締める。観客も曲に合わせてタオルを振り回したり、ジャンプしたりと、実にアクティブなステージが繰り広げられる。それは、『初音』のライブではちょっとお目にかかれない光景なのだ。

そんなリブラスのライブならではの一連の流れは、ファーストミニアルバム「LIBRARY LIKE LIVE」の中で、実に忠実に再現されているので、ライブになかなか足を運べないという人も、ぜひ一度聴いてみて欲しい。

二つの顔を持つ理由

さて、初音とリブラスの音楽性における、違いと共通点について語ってきたわけだが、ここで振り返って、なぜ彼女が2つの顔を使い分けているのかについて考えてみたい。

事務所の元を離れたアーティストが、方向性を転換するのは決して珍しい話ではないだろう。シンガーソングライターからロック歌手への転向という意味では、YUIがロックバンド「FLOWER FLOWER」へと活動の舞台を移した話が記憶に新しい。

ただし、初音の場合はちょっと事情が違う。彼女はシンガーソングライター・初音としての活動も勢力的に続けながら、二足のわらじとしてリブラスのボーカリストをやっているのだ。『初音』名義のライブと合わせると、週に1回以上のペースで出演することも珍しくなく、これは普通に考えても相当のバイタリティだと言わざるを得ない。

リブラスのライブを予約すると会場でもらえる特典フォトカード。連番でIDが付いているので、思わずコンプリートしたくなる。
リブラスのライブを予約すると会場でもらえる特典フォトカード。連番でIDが付いているので、思わずコンプリートしたくなる。

そこまでして裏の顔を演じる理由は何なのだろう。新しい音楽性を模索するため?それともアーティストとしてのブランディングのためなだろうか・・?

そんな疑問は、一度でもリブラスのライブに行けば、途端に霧消してしまう。彼女はそんな計算や理屈で動くタイプではないし、ステージで全力で熱唱している姿を見ればすぐに分かるのだ。この人は、きっと歌いたくて堪らないから歌っているのだと・・。

もしかすると、彼女もロックを歌うことでしか吐き出せない何かを抱えているのかもしれない。そして筆者もまた、リブラスのライブに行くことでしか発散できない『闇』を心に宿しているからこそ、これからも彼らの『授業』に通い続けることになるのだろう。

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