書評「鍵の掛かった男」

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有栖川有栖の最新作「鍵の掛かった男」を読みました。1/17にドラマ版のスタートも予定されている人気の火村シリーズの新作長編ですが、540ページという大ボリュームに、緻密な推理も冴え渡り、読み応えたっぷり。
トリックや密室といった古典的なモチーフはほとんど出てきませんが、誰しも心に抱えている『秘密』こそが最大の密室になり得ることを看破した意味で、現代ミステリ史に残る傑作だと思いました。

あらすじ

フィールドワークと称して実際の捜査に加わることから『臨床犯罪学者』と呼ばれる大学准教授の火村英生と、駆け出し(?)の推理作家・有栖川有栖のコンビ。そんな彼らの元に新たに舞い込んだのは、大阪市内のホテルで謎の死を遂げた老人をめぐる、事件の真相を解き明かして欲しいという依頼・・。

大御所作家・景浦のたっての希望から、早速現地に乗り込んで捜査を開始した有栖だったが、全く身寄りがなく、親しい人にも自分の過去を語らずに死んでいった男・梨田について、調べれば調べるほど捉えどころがなく、雲を掴むような思いに翻弄されてしまう。

一見すると、孤独に耐え切れなくなった老人による自殺とも思えるのだが、なんでも梨田は中之島のこじんまりとした「銀星ホテル」に5年以上も長期滞在し、死後に発見された預金通帳には2億円以上の大金が残されていたのだとか・・。

そんな謎の男・梨田について地道な調査を続けるうち、それまで隠されていた重大な『秘密』が次々と明らかになっていく。それでも、肝心の梨田の死をめぐる真相には到達することができず、迷路のように織り成される謎に悩まされる有栖は、大学入試で身動きが取れなかった火村の合流を待つのだった。

全く新しいアプローチの推理小説

これまで幾度となく難事件を解決してきた火村と有栖コンビでしたが、普段は殺人事件が発生してから犯人やトリックを探っていくのが通常の流れ・・。今回のように、自殺か他殺かさえはっきりしない、いわば事件が始まる前の段階から調査をするのは初めてのパターンです。

しかも、事件が解決に至る本当の終盤まで、自殺か他殺かさえはっきりしないので、読んでる方も最後までドキドキさせられてしまいます。実は、火村が捜査に加わる後半では、現場に残された些細な証拠から、見事に他殺の可能性を組み立ててみせるのですが、それでも今一歩、決定打までは至りません。

よく考えてみると、世で扱われている『不審死』の大半が、こうして他殺としての決め手が掴めず、結果的に自殺として処理されているのかもしれません。ちょうど本書が出版された直後にも、不審な首吊り遺体で発見された小学生が、自殺としてニュースで報道されていましたが、個人的には不思議なシンクロを感じずにはいられませんでした。

そんな『物言わぬ死体』の謎に、正面から向き合ったのが、今までのミステリー小説の常識とは一線を画した、本作品の意欲的なテーマだったのではないでしょうか?ぜひ名探偵・火村と有栖コンビがいたら、闇に葬られず解決したかもしれない数々の『謎』に思いを馳せながら、読んでみてください。

旅してる気分を味わいながら

かつてないほど長大な謎を解き明かすため、本書ではいつも以上に紙数を割いているのですが、純粋に小説として読んでも、読者を飽きさせることはありません。これも、火村シリーズの魅力の一つなのですが、語り手となる有栖の視点によって、舞台となる大阪・中之島や、銀星ホテルの常連の面々が、面白おかしく描かれているからです。

私は大阪方面の土地勘はめっきり弱いのですが、主人公が関西在住なだけに、大阪を舞台とした作品が多いのも火村シリーズの大きな特徴。今作では、「銀星ホテル」という架空のホテルを題材としながら、梨田の半生を追うことで、戦後・震災と荒波を乗り越えながら成長した、大阪の街並みが目に浮かぶような構成になっています。

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さらに、捜査のために銀星ホテルに滞在することになった有栖の目線になって、古き良きプチホテルを愛する常連客たちの話を聞いていると、まるで自分がその場を訪れているかのようなトリップ感を味わうことができます。物語の影の主役である梨田自身が「旅人」であったことに象徴されるように、本書はトラベル小説としての趣きが特に強い作品と言えるのではないでしょうか?

そして、銀星ホテルをまるで終の住まいのようにして暮らしていた梨田や、常宿として頻繁に通い詰める常連客たちは、どこか現代的なノマド・スタイルの生き方を表出しているようにも思えるのです。

現代的な『情報』をめぐる攻防戦

通常のミステリー小説であれば、証拠を集めて犯人の凶器やトリックを特定していく、といった流れになると思いますが、本作の犯人は何一つ証拠を残さず、まるで『暗闇に潜む黒猫』のように、完全犯罪を成し遂げています。

そんな犯人が利用したのは古典的なトリックではなく、『情報』そのもの。梨田には人に言えない事情から、銀星ホテルに滞在した理由を含め、数々の秘密がありましたが、どんな些細な秘密でも、それを知らない人より知る人は有利に動けるもの・・。

梨田が銀星ホテルに滞在していた本当の理由が分からなければ、謎の死は自殺として処理されてしまうし、事件の真相にたどり着くことはできません。その意味で、終盤で火村が見せる推理も見事でしたが、前半で有栖が積み上げた地道な調査こそが、真相を暴く強力な武器として活きてくるのです。

有栖が調べた梨田に関する情報が『鍵穴』で、火村が繰り出す推理のロジックが『鍵』。そんな二人のコンビネーションで、かつてない難事件を解き明かすクライマックスこそが、本作の最大の見どころと言えるでしょう。

まとめ

さて、久しぶりの長編となる火村シリーズでしたが、相変わらずの火村・有栖コンビは健在。切り口は全く新しいスタイルですが、推理のプロセスも、人間ドラマもたっぷり満喫できるので、ファンにとっては嬉しい一冊だと言えるでしょう。

本作では、人の知られざる『秘密』が事件と繋がりを持っていましたが、これは私たちの身の回りのレベルでも起こり得る話かもしれません。秘密と言うとちょっと大げさですが、「これはあの人には言わなくていいだろう」という程度の、小さな情報のコントロールは、誰しも日常的に行なっているのではないでしょうか?

そして、そんな情報の格差を利用して、あなたの知人や友人が、裏でちょっとした画策を行なっていないとも限らないのです。本作で完璧に近い犯罪を成し遂げた犯人も、うっかり尻尾を出したのは極めて俗人的な感情が引き金だったのですから・・。

そんな風に、小説の中の動機やトリックを、身近な問題に置き換えて推理の醍醐味を楽しむことができるのが、有栖川作品の大きな魅力と言えるかもしれません。

今月から始まるテレビシリーズでは、その辺のエッセンスがどんな風に活かされているのか興味深いところですが、長年書籍で親しんだキャラクターが実写化されるのは、一ファンとしても楽しみが尽きません。ぜひ、原作を読んだことがないという人も、ドラマと合わせてチェックしてみてください。

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